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中学三年生の頃よりおよそ5年間こちらのexciteブログで書き続けてきましたが、この度ブログを移転することにしました。こちらのexciteブログは広告欄が増えるとともにインターフェイスが若干変わり、最初に始めた頃とはずいぶん雰囲気が変わってしまい、少し気に入らなくなっていました。さらにもうすぐ新しい年も始まろうという時期なので、これを機に移転することにしました。
新しいブログは「Mizlog」です。 今後ともよろしくお願いします。 旧ブログとなったこちらのブログの記事はテキストをすべて保存した上で、残しておきたいと思いますが、二度と更新されることがないので、削除される可能性もあります。 今後とも川原瑞丸と彼のブログをよろしくお願いいたします。
「トゥールーズ=ロートレック展」が三菱一号美術館で今日までだったので閉館時間の40分くらい前、通りのイルミネーションを横目に飛び込んだ。
建物に入ると後ろから声をかけられた。振り返ると女性がチケットを差し出して来た。 「余ってるのでよかったらどうぞ」 お礼を言って受け取った。クリスマスの夜だし、当然誰かと来る予定だったんだろうなと思ったけれど、野暮な話を振るわけにもいかず、エレベーターでも丁寧にお礼を言うだけにした。大変珍しい出来事というわけではないだろうけれど、ぼく自身は初めてだったし、こういうとき世の成人男性はどういう反応をしてどういうお礼をするのか全くわからなかった。 肝心のロートレック。とにかくその流れる線にうっとりする。ときに細くときに太いその線はしゅっとしていながら力強くぼくに刺さってくる。風刺画のように意地悪そうな顔をした人々、笑う人々、あくの強い人々、不気味な衣装、華やかな衣装、観ているだけでシャンソンが聴こえてくるような感じ。ロスチャイルド男爵のあの不気味な笑みはまさに漫画のそれだった。 クリスマスに良いものが観れた。チケットをくれた女性に挨拶しようと思ったけれどその頃にはだいぶ混み合って来て(例によって混み合って来るとぼくは体調が崩れる)探すのも一苦労だった。これがもし村上春樹の小説だったら、女性はすぐに見つかるし(それも多分向こうからのアプローチだ!)、彼女は多分ぼくの人生において重要な登場人物になり得るし、ぼくと彼女の関係もいかにも春樹っぽくなるだろう。けれどぼくは春樹作品の主人公ではないのでそうはならなかった。独り展示会に満足して美術館をあとにした。チケットをくれた方、どうもありがとうございました。おかげで偉大な作品を目の前に楽しい時間を過ごすことができました。 ![]() クリスマスというと恋人イベントという風潮がこの島国全体を覆っているが(最後の砦になりたいものです)、ぼくには現在そういうお話がないので友人と夕食を食べることにして、今は独りで「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」を観ている。 友人は約束の時間より1時間遅れて現れた。なかなか現れないので少し苛立っていたけれど、友人が遅れたのはぼくにプレゼントを買っていたからだった。 ポール・スミスの紙袋を出会い頭に渡された。 お店に入ってご飯を待っているあいだに開けてみると、マフラーだった。一目で気に入った。ずいぶん一生懸命選んでくれたみたいでうれしかった。お返しをしないといけないと思った。 ![]() 今年は素敵なプレゼントをいっぱいもらった。どうして人が贈り物を贈り合うのかわかったような気がする。もらったらうれしいし、あげてもうれしい。当たり前のことだけれどすごく幸せなことだと思った。 「君が『うわ、なんですかこれ、ダサッ!』って言うのが如実に目に浮かんだから売り場に友達も連れて行ったし、君の似顔絵描いてその下に合わせたりもしたんだ」 いくらぼくでもプレゼントにケチをつけたりはしません。ジョブズじゃないんだから。けれどそんなに一生懸命考えてもらったと思うとなんだか照れくさかった。大切に思われているんだなと思った。 クリスマスと聞いて最初に浮かぶイメージは暖炉。その前に敷かれたカーペットの上で猫が丸くなり、窓の外は当然のように雪景色で、レイモンド・ブリッグスの絵本のようにスノーマンがこちらに背を向けて寂しげに立っている。今にも振り向きそうだ。 これがぼくが持つクリスマスのイメージだ。絵に描いたような場面だし月並みだけれど、一番わかりやすいし、いつになっても古臭くならない永遠のヴィジュアルだと思う。ぼくのクリスマスには宗教的要素はない。そこにあるのはフェアリーテイル的なファンタジーの世界だ。「赤鼻のルドルフ」、「グリンチ」、「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」、「スノーマン」、「ファーザークリスマス」、「特急北極号」。子供っぽいと思われるかもしれない。二十歳の男がいまだにフィンランドには巨大なファクトリーがあって、果てしなく続くベルトコンベアーで絶え間なくおもちゃを製造し続けているなんて想像するのは幼稚にもほどがあるかも。けれどそれがぼくのクリスマスなんだ。そこには浮かれた恋人たちや酔っぱらいはいない。 大人になるにつれて12月24日があっけなく終わっていくように感じるけれど、理想的なクリスマスのイメージは絶対に失わないようにしたい。大人になってもそれを持てたからこそ、ティム・バートンは「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」を形にできたんだと思う。 ![]() 「ヒトラーの絵筆」 とある老教授が道楽の骨董集めで手に入れた古ぼけた絵筆。それは世紀の独裁者ヒトラーが画学生時代から使っていた愛用の絵筆だった——。 署名なコレクターであるウォルバート教授は仲間を屋敷に招いて自分の新しいコレクションをお披露目する。それは古ぼけた一本の筆だった。なんの変哲もないただの筆にはじめは興味を抱かない紳士たちだったが、その筆が実は独裁者アドルフ・ヒトラーが青年時代から使っていた絵筆だとわかった途端、醜い争いをはじめることになる。 たった一本の筆を巡って、男達が狭い部屋でああだこうだ言い争い、すきあらば絵筆を持って立ち去ろうと狙う。そんなしょうもない短編を構想してたけれど書く気になれなかったので架空の映画ポスターにするという形で描いてみました。映画ポスター楽しいです。 ![]() ぼくは海外から見た日本が好きだ。日本にいるとわからない日本の姿が見える。海外の方が撮影した東京の映像を編集した作品を観ていると、まるで違う街に見える。毎日目にしている景色が、まったく違う雰囲気で映っている。明るく描かれることもあれば暗く描かれることもあり、コミカルに、神秘的に、描かれることもある。しかし、どれもそれぞれの人が観た東京の姿で、どれも本当の東京なのだと思う。 先日映画が公開された「タンタンの冒険」の原作コミックに、満州事変あたりをテーマにしたエピソードがあって、そこには典型的な「Jap」が例によって青年記者タンタンの前に立ちはだかる悪役として描かれていたのだけれど(タンタンが日本人を前にモノローグで「黄色い肌、黒髪、眼鏡・・・こいつは気をつけたほうがいいな」みたいなことを言う)、あれも読んでて楽しかった。 ほかにもハリウッド映画に登場する「Tokyo」はアメリカ人が思い描いたおもちゃみたいな街。最近では「カーズ2」なんかでも登場した(ゲイシャ・カー、カラテ・カーとかが出て来て、輝かしいネオンの看板にはカタカナや平仮名でそれっぽい単語が描かれてる)。そこにはなんというか、幻想的な東京が広がっていて、観ていてとても楽しい。 ミロスラフ・サセックという絵本作家のシリーズに「ジス・イズ・シリーズ」というのがある。ロンドンやニューヨーク、サンフランシスコ、香港、ミュンヘン、パリ、ローマ、様々な都市を素敵なイラストレーションで半絵本半ガイドブックといった具合で描いているシリーズ。残念ながら「ジス・イズ・トーキョー」は無い。もし、幻の「ジス・イズ・トーキョー」があったら、ぼく好みの「欧州人から見た日本(東京)の姿」が描かれていただろうと思う。 思ったのは、ぼくが「ジス・イズ・トーキョー」のようなものを作ることはできないだろうかということ。できたら楽しいと思う。ぼくはサセックやタランティーノのような外国人ではないので、本当の外国人の目線になれないかもしれないけれど、それでも「ぼくの見た東京」くらいは描けるだろうと思う。電車の中に無言で乗り込む、ペンギンのようなモノトーンの小柄なサラリーマン達、おもちゃみたいな格好をするタケシタの女の子達、独特のライフスタイルを鎧のようにまとったアキバの男達、何度も頭を深々と下げる丁寧な挨拶・・・。それはきっと外国人向けの作品になりかねないけれど、日本人の人からも大げさでコミカルな、おもしろいものとして観てもらえないだろうか(皮肉があるのは否めないけれど)。 「皮肉」と、「誇り」のバランス(「おかしいし、たまにアホかと思うけれど、これが日本人の良さで、ぼくはそこが好きだ」というようなニュアンス)さえ保てればいいものを描けそうな気がする。決して戦時中の日本軍を描いた風刺漫画のような敵意は見せたくない。そこには「愛すべき風変わりな島国の人々」を微笑ましく描くべきだと思う。 そう思って、近々そういう作品を展開しようと思ってる。
楽天本社ビルで開催された「Student Web Service AWARD 2011」に行ってきました。大変良い刺激をもらえたと思います。
学生が開発したウェブ・サービスおよびアプリケーションを発表し、一番クールなものがグランプリに輝くというイベントで、イベントロゴの上部にも「Who is the no.1 geek student in 2011?」という文句が書かれています。「geek(ギーク)」とは言ってしまえばパソコン・オタクのことですね。かつてはゴスやナードといった言葉と並び、アメリカン・ハイスクールでいじめられっこの蔑称だったのですが、今や誇りを持てるステータスとなっています。もうここからぼくは感動を覚えずにはいられませんでした。時代の移り変わりと価値観の変化はすざましいです。 クールなギークスたちが次々とプレゼンするのは彼らと同じくらいクールなアプリケーションの数々。ちょっとした思いつきを工夫次第ですごいものに発展させていて、すごいなと思うと同時に悔しくもなりました。 ・・・彼らがつくるものは世界をよりよくしようというアプリケーション。人々のライフスタイルに直接影響を与えるものをつくってる。ギークスだけじゃない。もちろんデザイナーたちもクリエイターたちも人々の生活のためのなにかをつくってる。 すると絵描きはどうだろう。 イラストレーターに世界を変えるものがつくれる?イラストレーションは人の生活にどう関わる?飾っておしまいじゃない?雑誌のページに載るだけで終わり?部屋に飾ってもらえるのは当然光栄、けれどそれ以上の可能性は?描いた人は自分が楽しんで描ければそれでいいの? 人を魅了する作品はもちろんすばらしいし、それが絵の一番のいいところではあります。けれど、もっと、それ以上に、人々の生活スタイルに良い影響を与えられるイラストレーションの可能性を探る必要があるかも。というか探りたい、見つけたいと思うのです。 今回のこのイベントはそういった意味でもぼくを刺激してくれたと思います。モノをつくるには変わりないんだ。きっとぼくにもできるはずだ、ってそう思ってます。
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川原瑞丸 mizmaru kawahara 1991年千葉県生まれ。イラストレーターとして活動中です。なにか新しいことが始めたいと思っております。お仕事、ともになにかを作れる仲間、随時募集中です。現在、東洋美術学校イラストレーション科在籍中。 お問い合わせ mizmaru88★gmail.com(★→@) イラストレーションのご依頼随時受け付けております。 ・Mizmaru Kawahara ・pixiv ・tumblr 以前の記事
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